2008-05-23 第169回国会 衆議院 外務委員会 第16号
一番下、非武装中立論というのがありました。野坂昭如さん、いまだもって健筆を振るっておられます。「火垂るの墓」で自分の妹さんが飢え死にされた経験から、食料の自給というのに非常にこだわっておられます。非武装中立です。石橋さんもそうでした。しかし、これは日本では、余りよくないんじゃないか。日本というより世界じゅう、これは余りにも常識外れだ、やはりこれはよくない。
一番下、非武装中立論というのがありました。野坂昭如さん、いまだもって健筆を振るっておられます。「火垂るの墓」で自分の妹さんが飢え死にされた経験から、食料の自給というのに非常にこだわっておられます。非武装中立です。石橋さんもそうでした。しかし、これは日本では、余りよくないんじゃないか。日本というより世界じゅう、これは余りにも常識外れだ、やはりこれはよくない。
だから、もう非武装中立論なんというのが日本でやっぱり成り立たなかったのはそういうことじゃないかなというふうに私自身は思っております。
例えば、非武装中立論というようなものを野党第一党が唱えて、政権の転覆をはかろうといろいろやってまいったわけでございますけれども、しかし、多くの国民の良識は、このような非常識な政策はだれもほとんど支持しませんでした。
たまたま、まだ国に帰らないでその大学にいた学生さんと話をしたときに、私の英語は非常に、今もそうですが、つたない英語でありましたけれども、当時は社会党を中心として非武装中立論という論議がありました。自衛隊のことをセルフディフェンスという言葉を使ったときに、向こうの学生と議論になりませんでした。
ですから、非武装中立論ほど私は無責任なことはないと思っているんです。 やはり日ごろからそういう侵略に対して組織的な訓練を行って我が国の独立と安全を守る、それが自衛隊であり、それに対して日本国民というのは常に温かい目を持って備えようという、こういう私は共有した意識を持つということは我が国の安全を確保する上において極めて重要な認識だと思っております。
これで賛否両論戦後あったわけでございますが、それ反対するために一方で非武装中立論というのがあったと。
そういう脅しに屈しないで日本の国民が平和の中で諸施策を推進できるような体制を整えていくということが極めて重要である、だからこそ日本におきましても自衛隊が必要だということで自衛隊を保持しているわけでありますので、非武装中立論者の考えとは違うと思いますが、私は、非武装中立というのは、もし実現した場合に、そういう攪乱をしよう、混乱を起こさせよう、脅迫をしようという勢力に対しては極めて脆弱な国になってしまうのではないかという
だから、非武装中立論ほど私は無責任な議論はないと思うんです。なぜならば、日ごろ、侵略者に対してどういう抵抗をするか、訓練をだれも受けなくていいというんですから。訓練を受けていない人に、もし起こった場合、あなた戦いなさいって言えますか。非武装というのは、非武装中立論者というのはそういうことだと思うんです。正に、泳げない人に泳ぎの訓練もしないのに飛び込めと言うようなものですよ。
それで、非武装中立論というのは、これは国連全体が法治のシステムが完遂したときに実現することであろうというふうに思っております。 西先生は、防衛に関しまして専守防衛ということに徹しておられるのか、あるいは国際協調主義と憲法九条についてどのようにお考えでしょうか。
古くは非武装中立論というものがありましたが、それはその時代の中で国を守る一つのアイテムだったというふうに思います。しかし、今や時代は大きく流れ、日本の立場も国際的に変化した今、改憲の時期に来ているはずです。 この国を守るという改憲論でいうと、国民の平和維持をするためには、その裏づけとなる軍事力が必要ではないでしょうか。
実は、非武装中立論というのが割とリアリティーを持って受け入れられたというのは、こういう歴史もあったんですね。 ところが、日本が国家を構成するというのはどういうときかといいますと、実は、東ユーラシア大陸に巨大な勢力が成立して、これが玄界灘を渡って影響力を及ぼしてくるときは、日本は国家を形成したんですね、危機感を感じて。それが古代の律令国家でありますし、それから近代の明治国家であります。
例えば、非武装中立論なんというのもあります。それから、これは九六年でしょうか、防衛問題懇談会が出したいわゆる樋口レポートのように多角的安保協力論というようなことでNATOをイメージ、まあそこまでいっていないんですが、イメージしたような安全保障論もあると思います。それから、日米間の安全保障条約のように二国間のものもあると思うわけであります。
守る必要がないから非武装中立論だという考えの方ももちろんいらっしゃると思いますが、国を守ることが必要であるという立場に立つ限りは、選択肢は二つしかないと存じます。それは、独力で守るか、それともほかの国と同盟して守るか、その二つだけであります。
しかし、その後、社会党は村山政権の誕生で、これまで党是と言ってきた非武装中立論等を一晩で捨てられました。そこに深刻な党内論争は見かけられなく、国民は唖然としたのであります。 今回また、五十年使ってきた党名を一部修正して社会民主党に変えられました。これまでの社会党とどこが違うのか、それとも単なる看板の書きかえなのか、国民は戸惑っております。恐らく蛇の脱皮ではないかという先輩の言葉を思い起こします。
ではどうするんだということになると、それに代替するものとして、例えばですけれども非武装ないしは軽武装中立論とが、いやいや、もうこれは日米だけで安保を考えていてもだめだからもっと多角的な安全保障体制あるいは機構というようなものをつくってそれでやれというような議論もありますね。 こういう問題については、大臣なり外務省としてはどういうふうにお考えでしょうか。
○国務大臣(河野洋平君) 武田議員の御主張は注意深く聞いたつもりでありますが、もし私の判断、理解に間違いかなければ、いわゆる軽武装中立論とでも言ってよろしいんでしょうか、そういう感じで私は聞きました。 その軽武装中立論というものが、今日のアジアの一角に位置する我が国にとって現実的なものであるかどうかという判断が重要なんだと思います。
前国会において、社会党委員長である村山総理は、日米安保条約堅持、自衛隊合憲を表明し、非武装中立論について歴史的役割を終えたと述べました。これらはいずれも旧連立における政権協議を困難ならしめてきた課題ですが、この大転換の理由を、情勢の変化、国民世論の動向に沿うものとしています。
そういう意味で、社会党は昨年七月の総選挙で国民に公約したのは、反自民党、野党連合政権の樹立であり、非武装中立論、自衛隊違憲状態論あるいは日米安保解消論、原発反対等々でございました。
四十七年ぶりに誕生した社会党党首の村山総理は、これまで社会党が掲げてきた自衛隊違憲・非武装中立論を大胆にも修正、自衛のための必要最小限の実力組織である自衛隊は憲法の認めるものと認識する、また、日米安保体制の堅持は従来の政府の外交政策の継続を標榜する政権として当然であると答弁されたことは、現実に政権を担う責任において思い切った意識改革に改めて敬意を表するものであります。
社会党が今日まで言ってきた非武装中立論は間違いであったと率直にお認めになりますか。 二つ。社会党は、自衛隊は憲法違反との立場をとってきたことを全面的に改め、今後、自衛隊を明確に合憲と認められますか。 三つ。自衛隊合憲、日米安保堅持の方針に転換するため、社会党の綱領的文書である新宣言の改正を必ず九月党大会に提起されますか。
次に、非武装中立論についてのお尋ねがございました。 私は、悲惨な戦争を繰り返してはならないとの国民の決意に基づく平和憲法の理念を社会党が非武装中立の政策として定式化したものと認識をしております。